熊本

熊本 初級講座 

3月に入ってすぐ、九州でのカタカムナセミナー


生まれて初めて 飛行機に乗るのに寝坊!!!

5時半に出るはずが、起きたら5時23分。

焦って、焦りまくりながら、準備し、

前日まで、かなりのレベルまで準備していた自分に心から感謝し、

ギリギリで、セントレアに到着して、あっという間に空の上へ。


ようやく 落ち着いた。


と 思ったら

隣の席の親子が、窓の外の風景を撮るのに、

何度も携帯カメラを持った腕が私の目の前を通り過ぎて

窓の前で、シャッターを切る。

思わず

「撮りましょうか?」と言ってしまった。

結果、飛行機が着陸するまで、写真係に。


なんだかなぁと思っていたけど、

この茶々けた大地には、流石に 目を見張る。

よく考えたら、熊本空港は初めてだった。




熊本空港の外で、主催者さんが出迎えてくださり、

初めて降り立った空港も、不安は飛び去り、3月の始まりがいきなり湧き立った。


打ち合わせをしながら、熊本の地図が飛び出す。

セミナーまでには、時間があるから、行きませんか?と提案くださったのは

細川ガラシャのお墓


 

ちょっと

細川ガラシャには思いがあって、

大阪 法円坂 越中井戸は、通学路 バイトの通勤路

ほぼ 毎日、行き帰り毎日通り抜ける道。

時には友人、時には母、

母からよく、ガラシャの話を聞いた。

「玉子」っていう名前だったと教えてくれたのは母だった。

細川家と熊本がつながっていたとは。

熊本は加藤清正がスーパースターだけど、

その後を継いで、加藤清正が残したものを上手に大切に利用して熊本を守っていたのが

細川氏だったそうな。

ここに、ガラシャの遺骨があるのではないだろうけどーなんて思いつつ、

あたりを見回してみると

すぐ横に、火鉢のような手水鉢が。

「慶長五年 七月十七日 石田三成から人質として大阪入城を迫られたガラシャ夫人は、

 老臣、小笠原少斎に介錯させて命を絶った。

 その直前にこの手水鉢を水鏡として最後の身仕舞いをしたと伝えられている

 大阪玉造亭跡から移したものである」と書かれている。


鉢の中に水はなかったけど、彼女が写っているような感じがして

泣けてきた。


なんだかなぁ。


隣で、

「飛行機の時間からセミナーまで、少しあるから、どうしようかと思っていたけど

 今回は流れに任せようと思っていたのよ。

 よかった〜」って、無邪気に笑っている主催者さん。


この後も運転中に

急に

「カワイさん 明治維新が担当だったんですよね。」

担当って、と思いつつ

「幕末ですけどねー」って答えると

「ほら、あの頃に 台湾だか、大陸に関係していた人の記念館があるけど

 そこにも行きましょうよ」と急にハンドルを切って、路面電車の線路を渡る。


「台湾? 大陸? 誰??」って聞いても

「名前が出てこないーー」って。

「だれ???」

前方の信号のところに看板があって

「あ 徳富蘇峰さんのこと?」

「ソウ!!!」

「あの人、台湾とか大陸に関係してたっけ?」




そこにあったのは

大江義塾


素敵な塾でした。


博物館も併設されていて


博物館の方には、色々と教えていただき、

ここと ここが 繋がっていて

ここは ここで こんなことをしていて

へーーーー そうなんですねってことを聞いたりしていたら

あっ という間に時間が経ってしまって、時間切れ


いや、まさか

熊本にセミナーで出かけて、これまで閉じてしまっていた

ページを開かれたりするとは思わなかった。


細川ガラシャ

この人、いつも、何かの節目に、私の人生に登場して、いつも、母の思い出を連れてくる。

母の運転する車の中で、越中井戸が目に入ると、

「ガラシャさんや」って言ってた母を思い出しつつ会場に向かったせいか、

その日も、その次の日も、穏やかで、幸せな時間になった。


驚くは

今住んでるところと

大阪の越中井戸と

熊本のガラシャさんのお墓をつなぐと一本の線になりそうでびっくり。

ここから、熊本の方向を向くと、大阪の玉造を通るのか。


そんなことを知るよしもない、帰路の空港では、ぎっくり腰になりかけて

これは呪いではないかとか、

何かに引き留められているのではないかとか、

とにかく、早く、セントレアについて、車に乗りたいと思っていた私です。


来年も熊本に参ります。

熊本 ありがとうございました。




neverLand

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