諏訪
春分の諏訪へのツアー
思いの外、心に沁み、
再度、諏訪に引き戻されている。
八ヶ岳
この風景や
こんな広々とした空に出会うと、もう、ここに住みたくなる。笑
途中で 投げ出したまんまだった
「ミシャグジ(御左口神、御社宮司、御射宮司、御社宮神 等)」
昨年、「倭文」という映画を見てから、梶の葉 との相関が再燃して、
そういえば、10年ほど前に 神長官へお正月に行った時、
館長からもらった梶の葉、
どこかにあるはずなんだけどなぁ、出てこない。
そんなこんなで
いよいよ、あの頃、あちこちで聞いていた方の本を引っ張り出して、
読み始めた。
古代諏訪物語
興味深いことや、
心が湧き踊ることが、次から次へと書かれている。
諏訪信仰・ミシャグジ研究
昭和28年(1953年)、諏訪大社上社前宮周辺に住宅と畑が増え、現地の古墳や遺跡が続々破壊される状況を嘆いた今井は史家の細川隼人と共に旧宮川村誌(史)編纂研究会を設立。当初は50余名の参加者を有したが、古文書の分類整理後、編纂事業を進める段階でほとんどが一人ずつ脱退していき、ついに今井一人だけとなった。前宮に深く関わるミシャグジに魅入られた今井は研究を続き、25冊にわたるその成果を「旧宮川村誌(史)編纂研究会」名義で自費で印刷して地元民に無料で配布した。また、寒天屋に出入りする人々や文通していた全国の教育委員会から得た情報をもとに実地調査を行い、その際に野宿も辞さなかったという。その成果はやがて「御社宮司(みしゃぐじ)の踏査集成」(古部族研究会編『古代諏訪とミシャグジ祭政体の研究』(永井出版企画 1975年)収録)としてまとめられる。ミシャグジのほか、チカト信仰や天白信仰などと言った、諏訪信仰を軸にミシャグジと重って広がる信仰にも関心を持っていた (ウィキペディア 今井 野菊 より)
『古代諏訪とミシャグジ祭政体の研究』
この本も、いつかの諏訪訪問でたどり着いた、
諏訪の古本屋 ピープルさんでゲットしていた。
パラパラとページをめくると
倭文の「北村監督」の名前も出てくる。
wikiは、こんな風に続いている。
今井の研究は山田宗睦(1997年「天白紀行」を中日新聞に連載)と古部族研究会(北村皆男・野本三吉・田中基)によってさらに発展した。古部族研究会の3人は、1974年(昭和49年)7月に一週間合宿しながら今井に教えを乞うた。3人が今井から学んだことは『古代諏訪とミシャグジ祭政体の研究』『古諏訪の祭祀と氏族』(1977年)『諏訪信仰の発生と展開』(1978年)の3冊にまとめられている
今年、8月11日 京都に北村監督を迎えて
「倭文」の上映会を予定している。
こんな形で、また 諏訪と繋がるとは、思ってもみなかった。
いつも、
私にとっての特別は、
特別だから特別になるのではなくて
自然に、知らず知らずの間に、特別な座席に座っていて、
気がついたら、切り離すことのできない「何か」によって接着されている。
諏訪も、きっと、この先の何かがあって、存在しているに違いない。
諏訪のことを少しつつ、ここに、書き連ねていきたいと思う。
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