無償の愛
平成23年の頃 、つまり、 西暦で2011年。
友人が送ってきた小説。「君の名を」(君の名はではなくて)
南朝の護良親王と雛鶴姫のお話。
その小説に引っ張られて、南朝の聖蹟を巡っていました。
その中でも、吉野は特別な場所で、
南朝の宝物がたくさん展示されていた吉野の吉水神社に行った際、
手水舎で手を禊いでいた私に向かって、社務所の中で一人の男性の方が、
手で「こいこい、こっちに来い」と呼ばれ
「えっ 私?」と不思議に思いながらも社務所に行くと
朱印のために準備していた小さな半紙に
「無償の愛」って 達筆で書いたものを手渡され
「人生は、これやで。よう来たな、よう来た」と言ってくださった。
そんな、初対面のインパクトは強くて、この人って何者?
と思っていたら
吉水神社の宮司さんだった。
それから、吉野に行くたびに、吉水神社に行って
色々とお話を聞いてくださり、聞かせてくださり、
滝行させていただいたり、
お祀りに参加させていただいたり。
あの頃は
暇で‥ 😅
毎月のように奈良に行っていました。
そのうち、私の様子を見て
「生きるんやで。お金は貸すことはできへんけど、あげることは出来るから
吉野のお父さんやと思って、本当に困ったら来たらええ」って言われて。
まさか、本気にしてないけれど
どこの誰かわからない私に、そんなことを言う人って、またまた、何者?って。
一緒に行っていた友人と帰りの車の中で
「何見て言わはったんやろ」と、深〜い話になりました。
「頑張らないとな」と
時々、そんなことを言われたのを思い出しては
「頑張らないと」と思いつつ、
そのうち、忙しくなって、
奈良行きも、1年12回を5年続け、60回を数えたときに
もういいかなって、ここ数年足が遠のいていました。
吉水だけではなくて、
あの頃、南朝関係の神社を訪ねては、懇意にしていただいたところは少なくなく、
思い出しては、尋ねてみたいと思っていましたが、
ある時、ひょんなことから
カタカムナのセミナー中に
吉水の宮司様のお話をしたら
「吉野から長野に引っ越されて、今、長野にいますよ」と生徒さんが教えてくれて。
「えーーーーっ」てなりましたが、
今日 本当に10何年ぶりの再会
長野に引っ越して、毎朝 14キロ、山を歩かれているとのこと
あのころより、スリムになられていましたが、
熱さも 暖かさも 笑い声も あの頃のまま
十数年の時ところがあっという間につながりました。
そしてまた
書いてくれた。
平成23年の無償の愛と、令和7年の無償の愛
2011の、この時から
行く度ごとに、「無償の愛」を書いてくださり、
どれだけ たくさん 無償の愛を頂いたのだろう。
今日も
心に響くお話をたくさんしていただきました。
またまた、そっとそっと 私のミナカヌシにしまってあります。
旅に出ると
時々、ずっと大切にしたい、と思える方に出会えます。
大抵は、ずっと年上の方々ばかり。
もう一度 お会いできたらいいな。
もう一度 お話しできたらいいな。と思いつつ、
もしかして これが最後かもとも思いながら。
それでも、再会した時には、最高にお元気そうな姿で
待っていてくださって、
またまた
「私も頑張らないとな」と思う。
今回も
「よう来たな。よう来たな。これはご縁やな」と何度も繰り返されていた。
カタカムナのセミナーで、吉水のお話をしなければ
再会できなかったかもしれない。
そんなことを思うと、本当に、人と人の繋がりって奇跡です。
どこが欠けても今日はなかった。
「無償の愛」心に響かせながら 大事に生きていきます。
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